昭和の少女雑誌には、雑誌の冒頭に美しいカラー刷りの絵が何枚か載っており、『口絵』と呼ばれていました。雑誌のサイズより大きな絵が、二つ折にたたまれて入っていることもあり、読者たちはこれを切り取ってピンナップしたりコレクションしていたのです。タイトルがついて存在感のある口絵は、挿絵画家にとっては、最も力を入れるところでした。『少女の友」で育てられた中原淳一は、戦後は独自の信念に基づくまったく新しい少女雑誌を作っていきましたが、戦前からの少女雑誌の系譜として口絵は『ひまわり』にも時々描いています。竹久夢二から続く抒情画の雰囲気の感じられる淳一の口絵は現代のコレクターたちにも人気を博しています。また、淳一は自分の雑誌の中で、特に読者に読んでほしいページには自分で挿絵を描くようにしたといいます。絵で表現するだけでなく、文章によっても伝えようとする雑誌という媒体の中で、淳一の挿絵は文章への導入の役割を果たすべく、ひときわ読者をひきつけるものでした。
白雪姫 昭和32(1957)年
青い鳥 昭和30(1955)年
シンデレラ姫 昭和22年
ハンセルとグレテル 昭和23(1948)年
「ジュニアそれいゆ」表紙 昭和30年